お清めの塩を葬儀の会葬御礼などで配られることがあるとはずです。最近は配られないことも多いですが、なぜでしょう。そもそもなぜ塩なのか、何の意味があるんだと思う方もいることでしょう。そもそも塩には古くから、邪気を払う力があるとされています。これは神道・仏教共通とされていますが、実は神道から来た風習です。もともと神道であった風習が仏教伝来後に神仏混合で仏教の中に取り込まれたようです。神道では、イザナギが黄泉の国から戻った時に海水で身を清めたとされます。科学的に考えても、塩は味付けというより、腐敗を食い止め、食物を保存するのに非常に大切にされて来ましたし、殺菌作用も強いため暮らしに欠かせない物でした。
そもそも動物も人間も体内に塩分が不足すると生きていけないのですから。この塩の力はユダヤ教などでも大切にされてきたようです。神道では、死を穢れとするため塩の力で清めるという考え方が出てきたのですが、仏教では死は決して穢れでは無い為、本来は塩で清めるという考え方はありません。ですから最近は、浄土真宗なだが中心となって、清めの塩を辞める方向になってきたため、葬儀の際に配られないことも増えてきた訳です。神道の清めの塩の考え方は、神棚の塩や相撲の時の塩まきなどあちこちに浸透しています。風水の考え方とも結びついて、家の中や玄関などに盛塩をする人もいます。日々の暮らしの中で、自分は神道を信仰しているとか、仏教を信仰しているという人は少ないのでは無いでしょうか。
その中で、塩で清めるということにそれほどのこだわりを持つ必要は無いのではないでしょうか。葬儀の際に塩を貰ったら、死の穢れを祓うというより、死とともにやってくるかもしれない災いを祓うと考えて、清めるというふうに考えたら良いでしょう。ちなみに、お清めの塩は、家に入る前に、肩・背中・足などに順にかけると良いでしょう。塩は人が長い歴史の中で生き延びるために大切な役割を果たしてきました。塩に感謝です。
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